②【たそ高校時代】〜学連のみんなへ〜

女子校で出会いが欲しかったのもあって、家の前でBBQと試乗会やってるから行ってくれば?と、父親の軽い誘いで、法政のウインドの試乗会に行きます。

まず、先輩がえげつない優しくわかりやすく教えてくれたし、経験者だからめっちゃ褒めてくれて、ああ、教える人が違うとこんなにウインドサーフィンって楽しいんだなと思いました。

BBQでは女子高生は珍しいからチヤホヤしてくれて、流れで日大の試乗会に誘われて日大の試乗会に行きました。

 

結構吹いてて、ショートでプレーニングの練習をいきなりさせられたんですが、まあできるわけもなく、沈からのセイルアップの繰り返しでした。その頃横でプレーニングしてる先輩がめちゃめちゃかっこよく見えたのを覚えています。

 

先輩みたいに乗れるようになりたくて、法政の付属校ということから、法政のチーム(その頃2014年レディースインカレチャンプの(法政大学43-1)高橋光穂さんと2015年NTキャプテンの(慶應義塾大学15-1)高津一晃さんが在籍していました。)と将来のインカレチャンプを育てようということで、一緒に練習させていただくことになりました。

 

光穂さん(当時のセイルナンバーは43-1)は、小松大悟さんと争って総合優勝するくらい圧倒的に速くて、それはそれは永遠の憧れです。

 

そこからウインド人生が再スタートすることとなります。

小学校手芸部で中学美術部でほとんど運動したことがなかった私には、6.8(逗会では当初レディースは7.8は重すぎるので6.8から始めていました。)でもめちゃめちゃ重く感じて、7.8はセイルアップすらできませんでした。

日焼けと疲労にうなされる日々がしばらく続きました。船酔いしやすい私はうねりが強い夏の時期は特に、吐きそうになりながら練習していました。(赤塔裏のうねりえぐいよなほんま〜)何回も辞めたくなりますが、早く上手くなりたい精神が強く、踏ん張ります。(誰もが一度は通るよね)

その頃大学一年生だった慶應のももさんという方が、新人戦で優勝するのですが、その方とばちばちに練習していました。私もその頃新人戦に出られていたら、いい線行ったんじゃないかと勝手に思っているのですが笑、この頃からすでにライバルに恵まれていましたね。

高校は私立で、土曜も授業があったのですが夏休みは長く、土曜の午後と日曜と長期休みは必ず練習していました。

初めてプレーニングできた時期は高校一年生終わりかけの二月だったかな。初めてプレーニングできた喜びは忘れないですよ。6.8でですけど。ただ、プレーニングできるようになった時期がなんでこんなに遅かったかって、ストラップきつすぎてそもそも足が入らなかったのと、7.8でいう28セッティングを知らなかったからなんですよね。28セッティングは確か高校三年生くらいで知りました。いろいろ知るのが遅すぎて、大学入ってから一年生には、私がしてきた数々の後悔を教訓に、全て教えるようにしています。

けど、6.8ってどんなに漕いでも7.8に勝てないんですよ。高校二年生から7.8に乗り換えて勝てるようになってからはさらに楽しくなりましたね。

 

それから、高校二年生の時、タイで行われたアジア選手権に父親と2人で出場しました。

母親はその頃マスパン風域でドンズボリをしている私を見て(アジア選手権だからズボルというか二年目でレディースビリを走るのは当たり前といっちゃ当たり前です。)トラウマになり、つい最近まで母親の私が遅いイメージや記憶がなかなか払拭できませんでした笑

コミュ障すぎて表彰式に海外の選手に話しかけられるまで怖くて何も話せませんでした。

けど、表彰式で海外選手とすごく仲良くなって、もっと早く話しかければよかったと、次に出場するインドネシアの世界選手権では、たくさん積極的に話しかけます。

父親はアジア選手権、日本人選手がいないのが寂しくて、ジャパンカップを設立して日本人選手をたくさん連れて行きます。

高校二年生のインドネシアの世界選手権では、光穂さんや一晃さんも含め、京大の大西さんたちと行きました。

海外選手とめちゃくちゃ仲良くなって(1年間くらいインドネシアの友達と毎日LINEするほど仲良くなりました。)、元世界チャンプのタイ人の選手(日本大好きで日本語ちょっと話せる)にウインドのあれこれを教えてもらったり(今でもその技術すごく活用しています)、インドネシアに絶対また来てねと言われ(大学生になったら行くねと約束していたので今度行こうかと思います。)、世界中に友達ができ、さらにレディースビリじゃなくて、さいっこうに綺麗な海でウインドできて、ウインドしていて本当に良かったと思いました。仲良くなりすぎて、インドネシア人やフィリピン人のお兄さんお姉さんがすごく可愛がってくれたので、もう二度とこのメンバーでレースすることはないのかと、寂しくて帰るときもバスの中で号泣して帰ってからも家で号泣してました。

 

高校三年間、学連レース以外(高校生で学連には入れないのでね)に最初からエキスパレースに混ざって参加してU15で表彰されることはあっても、下手くそすぎて先輩に怒鳴り散らされるわ、ポートで止まれなくて先輩のボード壊しちゃったりだとか(罪悪感で一晩中枕を濡らしました)、大会でビリのリザルトとったり、本当に同い年の同期がいなくて寂しかったです。だから、私にはビギナーレースに参加した一年間が存在しません。

学連一年目は、新人戦とインカレどちらに出るか選べるのですが、老害だなと思って新人戦ではなくインカレに出ました。

 

高校二年生以降はおかしなことに、大学一年生に敬語でイントラします。

また、高校三年生の時は確か、その頃一年生のねねさんやNTの方々に教えていた時期がありました。

 

 

続く。