④【インカレまで】〜学連のみんなへ〜

ウインド速い人がやっていたことを、片っ端から真似し始めます。

今年やっていたことをざっと挙げると、5月くらいから、気合い入れるために金髪にして(黒髪レディースだとメンズになめられやすいからね。ポートでぶつかられたくはない)、髪をバッサリロングからショートに切って(髪の毛の重さですら軽くしたかったのもある)、気合を入れるために自分でぶっとい針で軟骨のピアスを開けて(もちろんおしゃれのためで開けたかったのもあるよ。けど、軟骨のピアスは開けるの痛いから、これが我慢できたらもっと強くなれると思った。)、大学のジムにも通って、走るの大っ嫌いなのにランニングシューズ買って毎日限界まで海沿い走って、朝から夕方まで(長いときは確か一日10時間くらい海の上で練習したかな。)毎日出艇して、道具の調整して研究して、お風呂出たら痛いの我慢して柔軟して(少しでも脚を長くしたかった)、毎日体幹やって(9月くらいに最高1分だったのが10分近くできるようになったよ!)、毎晩ウインドノート書いて、甘党なのにお菓子ほぼ禁止にして、ひたすら筋肉つけるような食事にして、体脂肪率ギリギリまで落として、身体に良くないと思ったから禁酒して、朝と晩にまずいプロテイン我慢して飲んで(慣れて今はそこそこ美味しいけど、最初はゲロみたいな味だった)、練習の質上げるために早寝早起きして、家でもダンベル買ったりして筋トレしてた。(これ以外にも色々工夫してました)その時も支えてくれたのはおばあちゃん。毎日ご飯作ってくれて家事全部やってくれて、喧嘩もたくさんしたけど、大会でいい結果をとったら毎回すごく喜んでくれたし、残念な結果だったら慰めてくれた。本当に感謝してます。

 

 

この生活をしていく中で、筋肉がついてきたら、吹きで流されないから吹きが怖くなくなった。全然怖くなくてむしろ楽しいと思えるようになってすごく嬉しかった。いつも怖くて泣いていたから。

 

 

 

そしてこの時期に、後輩に声をかけ始めました。

昨年のインカレに行った後輩は0。同期もいない。もしや私は1人でインカレに臨むことになるのではないかと思いました。もちろん、大学一年生の時の寂しい思いがあったので、1人で行くのは絶対に嫌でした。インカレ後輩と一緒に楽しみたかった。

今までの練習に対する姿勢じゃダメだ、現実を突きつけて、インカレに向けて頑張ってもらわないと、と、チーム内でインカレに行けそうな順番にメンバーを順位付けし、チームで共有して一人一人に厳しい指摘をしました。

 

そしてチーム全体が遅ければ、自分の練習の質も悪くなると考え、チーム全体を速くすることに決めます。

 

一人一人真剣にアドバイスし、自分の技術を全て教えていきました。結果として、みんなかなり速くなりました。練習の質ももちろん上がった。

 

 

 

 

中部選手権では、さっちゃんとなのちゃんが爆走していて、一日目終わった時、1人で作戦会議するの結構楽しかった。ライバルたち、なかなかやりますなって感じで。

優勝には自信があったのに、さっちゃんがありえないくらい速くて、完全に負けを認めた。

ちょっと悔しかったけど、それ以上に仲が良いさっちゃんが優勝できて自分が優勝したよりも嬉しくて、帰着してから抱き合いながら喜んだよ。

 

 

伊勢湾カップでは、総合一本ピン取れてこのときのウインド人生で一番くらい嬉しかった。1上5位くらいだったのに、これは頑張ればいけるって漕ぎまくってダンピンだった!体力使い切っちゃった。ここでようやく女子暫定一位に躍り出るんだけど、前半ズボリすぎてて、サラと1ポイントしか差がなかった。それで最終レースも走ったのに、サラにもっと前走られて負けちゃった。すごく悔しかった。

 

和歌山サマーレガッタでは、あまりに遅くて、漕ぎもスタートも海面も全部ダメダメで、優勝狙っていたのに5位で表彰台にものぼれず、とてもとても悲しかった。苦手風域ではこんなに遅いんだって、インカレまでに間に合うかすごく不安になった。最終レースだけ得意風域で、メダルレースに参加したトップ10人以外の、メンズ含めた中でダンピンだったのに、最後フィニッシュマーク間違えて、悔しすぎて回り直せるような精神状態ではなくなって、ひたすら泣きながら帰着しました。とにかく悲しくて悔しかった。帰着した後もものすごい私が悲しそうだから、みんなまで悲しませてしまったね。

この時の反省で、コースを手の甲にお守りかのように書くようにしました。

そして授業がほとんどなくて学校に行かないので、地元のジム(新嶋莉奈ちゃんや池田健星くんが通ってるとこ) にインカレまで通うことにします。

 

 

 

 

9月くらいに家族が石垣島から帰ってきたんだ。嬉しかった!

その時親は毎日のスケジュールにびっくりしてた笑。あんまり親には頑張ってること報告してなかったからね。練習で忙しくてそれどころじゃなくって笑(練習してトレーニングしてきつすぎてすぐ寝ての繰り返しだったから。)

 

9月の支部戦では、1日目はドンズボリして、頑張ってまくってフィニッシュは耐えた。お昼休みお通夜だった。まさかインカレ行けないかもっていう順位を一上で取ってしまったから。それはそれは落ち込んだけど、何本か1位を走って、結構ダントツの走りを見せた。2日目の途中まで結構圧倒的に優勝に近かったんだけど、インカレ前にここで絶対優勝しておきたいというプレッシャーと、インカレで緊張するからって、普段レースで全然緊張しないのにわざと緊張して挑んだら、小鹿みたいに足が震えて、最終レースで優勝をサラに持ってかれちゃった。

今年は最終レースでサラに優勝を持ってかれて準優勝っていうのが多くて、どうせ今回も最終レースズボるんだろうなって弱気になってたのも良くなかった。表彰式ではホームゲレンデの逗子で、8年目で、優勝できないなんてなんて情けないんだろうって目の前が真っ暗になった。

 

けど、幸いなことに、去年支部戦80番台だった通らないと思っていた後輩たちが、続々と通過し、5人でインカレに行けることになった。キャプテンの長谷川尚紀(法政大学三年)がギリギリで呼ばれた時は、とっっっても嬉しかったね!

 

 

 

10月には、気分転換も兼ねて関西の大会に二つ出たんだ。

ハロウィンカップと、北港オープン。

 

うちのチームからは1人でしか出ないからって、夜行バスで行って、道具を関西の同期に借りることにしたの。

 

ハロウィンカップでは、6,7年ぶりにありえないくらい遅い順位をとってしまって。

セイルをもらいに行こうと意気込んでいたのに、何しに来たんだろうって、泣きたいのに涙も出なかった。

けど、これは神様がインカレでズボッても焦らないようにするためのメンタルトレーニングという試練を与えてくれたんだって思ったら、大会二日目すごく頑張れた!

(この時のメンタルトレーニングは、インカレでバッチリ活かされたよ!)

 

 

 

で、北港オープンは、速い人しか関東から呼ばれないというイメージがあったから、もし、誰かが私のことを呼んでくれたら、光栄なことだからありがたく参加させてもらおって思ってたら、山之内薫ちゃん(京大の三年生)が、皆川晃輝くん(関西学院大学三年生)と組んで、レディースチーム優勝狙ってるから出ませんかって。2人ともばちばち速いから、誘われてすっっごく嬉しかった!自分のことを速い選手って認めてくれてるって感じたから。

 

ハロウィンカップで自分の道具以外のものを使うと、すこぶる調子が悪いということを思い知らされたから、(自分の道具はものすごく自分が使いやすいようにしてあるからね。)北港オープンチーム戦でしかもレディースチーム優勝を狙ってるなら尚更自分の道具で乗らなくちゃって、ずっと関西で練習したかったけど一回帰った笑。明治に道具を運んでもらって、ハイエース乗せてくれて本当に感謝しています。ありがとね!!前半調子乗って免許ないのに助手席陣取っちゃってゴメン笑。ハイエースの中でDJさせてくれたのもとっても楽しかったよ!

 

 

 

北港オープン金髪だったんだけど、初めて川でレースして、スタートラインから川の流れでどんどん出ちゃって、ブラック引っかかりまくってる人がたくさんいて、チーム戦でブラック引っかかるのだけはやっちゃダメだと思って、スタートライン並べなくてここでも鬼ズボッたんです。

 

薫ちゃんと皆川くんは、もんの凄い走ってて、いたたまれなかった笑。2人もなんて声かけていいのやらっていうのが伺えた笑。けど、薫ちゃんに泊まらせてもらって、夜一緒に遅くまで作戦会議したの楽しかったね!勉強になった!一緒のチームの薫ちゃんが女子で優勝できたのも心から嬉しかったよ!

 

チームとしては、薫ちゃんと皆川くんの爆走のおかげで、たそと愉快な仲間たちが圧倒的にレディースチーム優勝できました。

実は最終レースだけ、私がまともに走れて三人がほぼ同時にフィニッシュしたんだ。

団体戦チームで入賞争いするような走れた記憶がなかったから、感動して泣きそうになりました。

一番走れなかったけど、団体優勝トロフィー、すごく嬉しかったので2人に許可を取って、

記念にもらっちゃいました。

個人では優勝できなかったけど、しばらくぶりの優勝と名のつく賞をもらって、インカレ前にすごく縁起がいいねって、親と話していました。

実はハロウィンと北港の関西遠征は、父親に止められていました。

インカレ前にズボッたら精神的によくないって。

 

けど、まあこのズボリにも何かしら神様のお告げがあるなと思いました。

金髪はダメだよって笑金髪は確かにいろんな人に褒められるし、染めるのだってめっちゃお金かかってるし、自分だってすっごく気に入ってるけど、スタートラインしっかり並ばなきゃ意味ないよって言われてる気分でした。

 

だからインカレ直前に、泣きながら黒髪にしました。というのは嘘だけど、半べそで染めました。染めたら髪の毛痛みすぎてさらに短く切ることになって。そもそもショート好きじゃないのに少しでも軽くするために髪の毛命のこの私が切ってたのに、ベリーショートになって悲しかったし恥ずかしかった。でもみんな可愛いって言ってくれてありがとう泣

 

 

ハロウィンカップと、北港オープンの最中、

京大のみんなには大変お世話になりました。

 

 

レース会場や練習場所まで、京大の車に乗せてくれて、

琵琶湖で大事な大事な道具を貸して練習させてくれて、

インカレ前で大事な時期なのに家にも泊めさせてくれて、

美味しいところたくさん連れてってくれて、

八鳥くんの引退飲みにも参加させてくれて、

 

まるで京大の一員のように扱ってくれました。

 

インカレではそこで仲良くなった京大の応援がとてもとても力になりました。ありがとう。

 

今年の初めの方は、松本くんとやたら仲良いねって言われて、それから輪が広がって京大と仲良いねって言われて、京大みたいだねって言われて、かれんちゃんはもう京大だよって京大の人たちに言われてすっごく嬉しかった。

同期がみんな引退して、逗会では同期がいないし、明治は同期いるけど、レディースの同期はいなかったから、新しい同じチームの同期ができた気分でした。本当に本当に嬉しいことでした。

 

 

 

インカレが刻々と迫り、毎日道具が壊れたりレース当日寝坊したりする悪夢を見るようになりました。

せっかく自分の道具でホームゲレンデの逗子で練習できて、調子を取り戻せると思ったのに、明治のラウンディングでえげつないズボリまくって、発狂しそうだった。ちなみにインカレ前最後の練習、マスパン風域で今話題の15-21の岡本たいせいくんにピンを取られて、一年生にも負けてしまいます。

 

 

 

さらに肝心のインカレ前に、風邪をひいっちゃって、あ、終わったな。やらかしたと思った。

けど、ねねさんが、インカレ前に頑張りすぎず、ここでゆっくりするべきなんじゃないかって言ってくださったおかげで、ゆっくりゆっくり休みました。

本当はギリギリまで筋トレして、ウインドノート見返したりして、ウインドの最終調整をしようと思っていました。けど、休むべきだと思って何もしなかった。もうこの際、何も考えず本番迎えた方が、過去の失敗に引きずられないんじゃないかなとも思った。

 

 

だけど、支部戦の時点でサラの優勝はかたいかもって思ったのもあって、インカレ出発前、父親に優勝できる確率は35パーセントくらいって言ったんだ。

父親は、「インカレ優勝候補だったのに2回リコールして、総合30番台だったから、絶対リコールだけはするなよ」って言った。

実は父親は、全日本では優勝したけど、インカレでは優勝候補だったのに2回もリコールして、表彰台にすら登れなかったんです。

母親からは、「本当にぜんっぜん期待してないから」って言われて、言い方的に本気で期待してないなーと思った笑。最近ズボり過ぎてたしね。けど、期待されて変なプレッシャーかけられるより良かったし、プレッシャーかけないために言ってくれたんだよね。

 

 

 

 

続く。